▼ 05年2月次代を語る会「慟哭の海今なお深くー戦後60年に思う」 2005年2月15日(火) @ 立命館大学 衣笠キャンパス



語り手:佐藤明雄さん
(甲南大学名誉教授)

京都大学文学部哲学科卒業
同大学院を経てハイデルベルク大学留学、帰国後、甲南大学に勤務。97年定年退職。

幼少期を中国福州天津で過ごした経験から日中の友好交流に努力、特に福建省の教育支援を続け、NPO法人日中教育人材交流協会理事長を務めるなど、日本と中国の友好交流への貢献は計り知れない。



2月15日、京都市北区の立命館大学衣笠キャンパスで佐藤明雄さん(甲南大学名誉教授)を招いて2月次代を語る会が開かれた。

戦中6万数千人の命とともに沈没した、7千隻もの商船をはじめとする民間船。亡くなった海員の遺族のもとには遺骨すらなく、戦後60年を迎える今も家族の死を受け入れられない遺族は多い。3歳のときから10隻もの商船に乗る機会があり、船に愛着のあった佐藤さんは、1986年に開催された戦争展に疎開船対馬丸の模型を出品した。そこで、対馬丸で亡くなった息子の跡を辿るように甲板をなぞる遺族の姿に、写真にも絵にもない立体模型の力を感じた。以来、海員遺族のために船の模型を作り続けている。受け取った遺族にとって、模型船は遺骨そのものであり、「棺」である。墓へ持って行き、寺で法要を行う。家族の死に、やっとけじめがつけられるという。華々しい軍艦や、陸海軍の武勇伝はなお語り継がれる。しかし、人員、兵器、物資の輸送船となった商船や、戦場に着くことなく海の藻屑と消えた兵士や船員など、わずかな華を支えた数多の犠牲は忘れ去られている。

周辺事態法等が立て続けに挙がる今日は、昭和7、8、9年の世相ととてもよく似ていると佐藤さん。外堀から法律で固められ、気づいたときには言論の封殺に陥っている。容認できることとできないことの境目、その「昨日にかわる今日」を見過ごせば、歴史は繰り返される。戦争の歴史など、マイナスの面を聞き入れようとしない風潮の世論であってはなおさらだ。

国の中枢を私たち自らが選挙できちんと選ぶこと、同時に脱亜入米でなくアジアのリーダーになっていくためには、近隣諸国との戦争責任の和解が不可欠であると佐藤さん。常に「始めに終わりをおもう」ことが肝心である。

 記事:伊豆田 有希(立命館大学・4回生)




▼ 佐藤さんの講演を聴き終えて・・・

混乱している。頭の中が、混乱している。何を書けばよいのか、わからない。佐藤さんの話のすべてが、新鮮で、衝撃的で、圧倒的な力をもっていた。具体的な「戦争」について、ぼくは、なんにも知らなかった。話を聞けてよかった、強くそう思う。

佐藤さんから船を受け取り、「今日、主人が帰ってきたんですね」と号泣しながら赤飯を炊いたという遺族の人たち。また別の遺族は、模型をお墓に持っていって、お坊さんを呼んで法要をしたという。「太平洋戦争なんて、もう昔のこと。自分とは、関係ない」と心のどこかで思っていた自分が恥ずかしい。亡くなった6万という膨大な数の海員たち。日本だけでも、太平洋戦争で210万の人たちが亡くなったという。あまり知られることなく、戦後60年たった今でも、静かに悲しんでいる遺族の人たちがいる。決して、戦争は過去の話ではない。「60年たっても、遺族の涙は乾いていない」。

「人間ドキュメント」で佐藤さんを取り上げたNHKのディレクターは、「今の時代に危機感をもっているんです。不安な気持ちで見つめているんです」と、番組の制作意図を明かしたという。周辺事態法、国旗国家法、テロ特措法、有事法制、イラク特措法という一連の流れが70年前の状況と重なるとして、「『昨日に変わる今日』に注意しなければならない」との警笛を鳴らす佐藤さん。亡くなった210万の人たちのうち、餓死と病死が6割を占めるという状況を聞くと、「戦争は格好いいものじゃない」「いざとなったら国家も軍も自分を守ってくれない」という言葉にも、説得力が増す。

知りたくなった。ひとりでも多くの人から話を聞きたくなった。戦地から無事生還した人たちは、戦争中、どのようなことを考えていたのか、そして終戦後、どのようなことを考え生きてきたのか。遺族はどうか。日本で戦争を体験した人たちはどうか。戦後に生まれた人たちはどうか。肉親が出兵したまま、その生死すら知らされていない人たちは、この60年間、どのような気持ちで過ごしてきたのか、国はどのような対応をしてきたのか。知らないことがあまりに多い。知りたいことがあまりに多い。「終わらない戦後を追う」という大きな課題ができた。

 コメント:森 敏之(同志社大学・4回生)




▼ 講演会の感想・・・


戦記小説などで顧みられる機会が多い「大和」「陸奥」などの軍艦に比べ、物資・兵員輸送のために徴用された商船への関心は極めて低い。戦時中に約3000隻の商船が撃沈され、6万人もの海員が死亡したという事実は佐藤さんのお話を伺うまでまったく知らなかった。

また佐藤さんが撃沈された船の模型を遺族に贈っているお話からは遺族の気持ちを考えさせられた。模型を受け取った遺族は今でも涙を流す。そして遺骨がないお墓にその模型を持っていき供養をする。ある遺族は「これでやっと帰ってこれたんですね」と言った。この話の後に佐藤さんが言った「60年経ってもまだ涙のかわかないない人がいる」という言葉がとても重く感じられた。かつて同じ日本人が戦争をした。祖父が、祖母が、その時代を生きたことを改めて実感した講演会だった。

私の祖父が15歳の時に戦争は終わった。私が同じ15歳だった夏に「おじいちゃんの分も楽しまんとな」と祖母に言われたことがある。その横で祖父が笑いながら頷いていたことは今でも印象に残っている。15歳だった祖父も75歳になる。私達が戦争体験を直接聞ける最後の世代になるだろう。戦後60年という還暦を迎える今年、もう一度原点に還って祖父達の話を聞かなければならないと思った。

 コメント:大舘 司(立命館大学・政策科学部1回生)




▼ 語る場をもっと・・・

85歳になる私の祖母が戦中上海から引き揚げるとき、魚雷にびくびくしながら、普通1週間の航路を1ヶ月かけて帰ってきたと話していたのを思い出しました。本当に命を賭ける、それが当たり前だった恐ろしさを、今私が実感することは到底できません。広島県の生まれで、小学校から熱心な「平和教育」を受け、千羽鶴を毎年折り、戦争の悲惨さというものをたたきこまれてきました。しかし、一方ではそうした教育にうんざりし、教育を終えれば問題関心を継続しない人もたくさんいるのが現状です。

佐藤さんもおっしゃったように、過去の歴史を振り返らず、現在進行形の国の動きにも関心を示さない世代。犯罪増加などで社会はますます混沌とする中、その隙間をついて戦争というものがまた介入してくるのではないかと不安です。せめて自分のおじいちゃんやおばあちゃん、近所の年長者に、戦中戦後の生活がどんなものだったか話してもらえる場が増えればと思います。


 コメント:伊豆田 有希(立命館大学・4回生)



▼ 身近な「戦争」から感じていきたい・・・

「戦争が終わって60年経っても、未だに遺族の涙は渇いていないのですよ」。戦時中、多くの船が戦いの最中や人員輸送の途中に沈没した。その中には軍艦のみならず輸送船としてかり出された商船も数多く含まれていた。それら沈没した船の模型を作り、帰ってこなかった遺骨の代わりとして船員の遺族に送り続けている佐藤明雄さん。冒頭の文章は、その佐藤さんが語った言葉である。


遺族の方々に当時の船の模型を持っていく。目からは大粒の涙が流れる。その瞬間、戦後60年を経ても、終わることなく続いてきた家族の深い悲しみを感じるのだろう。佐藤さんの語る「未だ渇いていない涙」を、今を生きる私たちはどれほど感じているだろうか。時折目に涙を浮かべながら、熱のこもった声で語りかける佐藤さん。その姿を見ながら、戦争をどこか遠くにしか感じられなくなっている自分に気付く。

一方で、普段の生活の中で戦争を感じることの難しさを思い浮かべてしまう。そんな時、佐藤さんは「過去に盲目なるものは未来に対しても盲目である」というメッセージを引用された。海の向こうでは未だ戦争が続いている。3世代前の日本は焼け野原だった。そんなことに想像をめぐらせ、過去にも外にも目を見開くことで戦争は止められるかもしれない。そして何よりも、もっと身近にある戦争の記憶に敏感になりたいと思う。聴講されていた戦前生まれだという女性の「戦後の苦しい時代も生きていくのに大変だった。その苦労を思うと戦争は絶対嫌だ」という言葉が一つのヒントだろう。戦争体験者が徐々に減っていく中でも、貧しかった戦後に人生を大きく左右された人はまだまだたくさんいる。すぐそこにいる人々の、心から語られる戦争に耳を傾けることが過去に目を見開く第一歩のような気がした。

佐藤さんは、第二次世界大戦がはじまる直前と現代とが非常に類似した社会状況だと述べられた。そして、政治学者丸山真男氏の「大戦へと突入する過程には、戦争をしない『昨日』と戦争へと向かう『今日』があった。それを見過ごしてしまった」という反省の言葉を引用した上で「どこで『今日』に変わるのか、それを注視することが今を生きる我々のすべきこと」と話された。どこに「昨日」と変わる「今日」があるのか、私たちもこれ以上盲目ではいられない。

 コメント:小田 克朗(立命館大学・法学部4回生)




▼ 語り継ぐ最後の世代のひとりとして・・・

戦後から今年で60年--戦時中をいまの私たちの世代と同じ頃に過ごした佐藤さん。いま20代を生きる世代は、おそらく戦時中に青春時代を迎え、焼け果てた国土から今日の日本を創り上げた世代から生の声を聴くことの出来る最後の世代ではないか、だとすればいま私たちは、私は何をしなくてはいけないのか。「戦争の惨禍」という言葉で綴られた教科書や書籍の中だけの出来事として終えていいのだろうか、刻一刻と風化していくのではないか、そんな危機感から今回の語る会を迎えた。

佐藤さんの言葉は、そのひとつひとつが私に重くのしかかった。「平和平和と叫び、それを教え込んだところで戦争の本質は語れない」と佐藤さん。このメッセージがどれほど重いだろう。「模型を100隻作るまでは私の戦争は終わらないと思っていた。しかし受け取った遺族に会うたび遺族の涙を目にした。このことを思うと、100隻で終わるものではない」そして終わらぬ戦争の惨禍を少しでも癒すかのように、今日も模型を作る佐藤さん。

ひとは区切りをつけることであすの自分にどれだけのエネルギーをもたらすだろう。過去を引きずったままの遺族のために私たちが、私ができることとは何だろう。佐藤さんのメッセージが20代を生きるいまの私たちに与えるものは計り知れない。だから私は私にできること、語り継ぐこと、これからもその機会をつくりたい。

 コメント:和田 直也(立命館大学大学院・M1)





戦後から今年で60年--既に戦争経験のない人々によって形成される今日の日本社会の中で、ただひたすら幼年期の熱い思いに従い、戦没した船と海員の遺族のために船の模型を作り続ける活動をしているのは、神戸市に住む佐藤明雄さん。「百隻を作るまでは私の戦後は終わらない」と心に決め、その念願を開戦60年を迎えた2001年に達成。あれから早4年の歳月が過ぎたいまも、佐藤さんは遺族のために船を作り続けます。そんな取り組みを横目に、戦争経験のない私たち新世代はいまどういった気持ちで戦後60年を迎えたらよいのでしょう。戦争体験者の思いを受継ぎ、次代を創る何かのヒントになればと思い、佐藤さんを招いて「2月・次代を語る会」を開催します。


と き:
2005年2月15日(火)16:00〜18:00
     ※受付開始15:30より

     (10分前にはご入場下さい)

ところ:立命館大学衣笠キャンパス創思館302号
     ※正門南下し、中央グランド前
語り手:佐藤 明雄 さん(甲南大学名誉教授)
テーマ:慟哭の海 今なお深くー戦後60年に思う
懇親会:18:00より会場近くにて開催予定
締め切り:定員になり次第締め切ります(会場定員20名)


参加費:大学生500円・社会人1000円 ※高校生以下無料
参加受付:氏名・所属・E-MAILを記載の上、
       和田直也(nwada@ha-telecom.co.jp)まで




戦没者遺族のための活動に感銘し、先日神戸にある「戦没した船と海員の資料館」を訪ねました。佐藤さんの取り組みをさらに垣間見るにあたり、そのメッセージをより多くの同世代に広げる機会をつくりたい、その一心で今回の語る会を企画しました。

この間の佐藤さんご自身とのやりとりを通じて、戦没者や残された遺族のための活動のみならず、日本と中国の友好交流に多大なる貢献を果たされていることを伺うこととなりました。これからの社会を創る世代のひとりとして、こうした取り組みを少しでも学び、次の世代へ還元していくことのできる何かのきっかけになることを願い、2月15日を迎えたいと思います。

 主催者コメント:和田直也(立命館大学大学院・M1)





■NHKにんげんドキュメント
 =「船の棺」=

2004年08月13日(金)
2004年10月01日(金)

総合テレビにて放送 ---

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