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2008年01月25日

塔心礎の歴史 シリーズ第5弾 修羅(しゅら)について

去る1月23日(水)に開催された、「塔心礎から岐阜のまちを考える会」で、提出資料の最後は、修羅(しゅら)という、古代の石などの重量物を運搬するときに使用された道具(ソリ)についてです。

第1回の塔心礎についての会議のときに、基本提案として、塔心礎を大宝廃寺のあった岐阜市文化センターまで、岐阜市歴史博物館前から、伊奈波神社→櫑森神社→美殿町→柳ヶ瀬→金神社→岐阜市文化センターへ、市民で人力で運んではどうか?と言う原案が出されました。

その際、1300年前の頃の、大きな石等を運ぶ運搬具として、修羅(しゅら)という木製のソリを当時の人々は使ったのではないか?と思われています。

これは、下記の資料4にもあるように、V字型の木製のソリで、大阪府藤井寺市にある、古代・中世の古墳跡などから発掘されている。当時の人々は、修羅(しゅら)を使って、巨大な石などを運んだことが、歴史的に言われている。

image 資料4

代表的な修羅(しゅら)は、1978年に大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳から発掘された。当時は、大きな発見で、日本中の話題をさらい、たくさんの報道もされ、多くの見学者が訪れたという。さらに、藤井寺市では、この発見で、「修羅曳き」なる市をあげての市民による実験も行なわれた。
詳しくは、大阪府藤井寺市の「修羅を曳く」ページ参照。

藤井寺市で発見された修羅(しゅら)は、5世紀ごろのものとされており、古墳内の石棺の運搬等に使用されたのではないか?といわれている。

そこで、岐阜市内にある塔心礎の運搬も、当時の歴史背景を再現する形で、この修羅(しゅら)に載せて人力で引っ張って、目的地まで運搬してはどうか?という原案が提出された。

今後、、「塔心礎から岐阜のまちを考える会」では、塔心礎の歴史をだんだんと研究していく中で、市民創意工夫のもとで、こうした原案をもとに意見集約し、運搬方法等について検討していく予定です。