塔心礎の歴史 シリーズ第4弾
今回は、塔心礎のあった大宝廃寺に焦点を当ててみたいと思います。
大宝廃寺は、7世紀後半に、今の岐阜市文化センターや、金公園、徹明小学校のあたりまで広い範囲に、岐阜市文化センター建設時、基礎工事の掘削時に見つかった塔心礎の発見から、建立されていたのではないか?と伝えられています。
現在も、岐阜市文化センターの周辺は、周辺地域に対し、小高い地形となっていて、自転車などで、近辺を走ると坂になっていることが良く見て取れます。
また、現在の大宝寺境内から徹明小学校にかけて、当時の瓦が見つかっており、現在は、岐阜市歴史博物館などに収蔵されている。
(右の写真参照)
こうした、この地域の発掘から、大宝廃寺は、ここに建立された寺院で、7世紀後半の創建になる寺跡であったことがうかがえる。
大宝廃寺が、どんな姿で建っていたか?は、まだ、はっきりしていないが、壬申の乱以降に、岐阜県に点在する寺院跡と同じ時代に、この地方の権利をもった豪族が、天武天皇などの朝廷の命を受けて、建立したことは、おおかた間違いないものと思われる。(資料3参照。クリックで拡大)












