第2回 塔心礎から岐阜のまちを考える会 開催報告
去る、平成20年2月27日(水)午後7時から、金神社神社会館4Fホールにて、第2回塔心礎から岐阜のまちを考える会が開催された。
塔心礎から岐阜のまちを考える会は、第1回を1月23日(水)に同会館にて発足しており、今回は、その2回目の会合となった。参加者は、1回目とほぼ同じ約30名であった。
この日は、まず最初に、集まった参加者が、自己紹介したあと、司会者のほうから以下の内容で会議が行われた。
1.第1回会議報告(平成20年1月23日実施済み)
▽塔心礎について説明会
① 岐阜市教育委員会社会教育室 高橋さんから 塔心礎とは?について
② 岐阜市教育委員会社会教育室 内堀さんから 塔心礎の分かりやすい紙芝居③ 岐阜市歴史博物館 高木館長さんから 歴史博物館と塔心礎について
▽塔心礎をふるさと(岐阜市文化センター・金公園)にもどす初期提案について
▽質疑応答&意見交換会を実施しました。
▽会の名称を「塔心礎から岐阜のまちを考える会」と決定。
月1回の勉強会と会議を持つことを目標にすることも決定しました。
2.第2回会議内容
1. 塔心礎のふるさと岐阜市文化センターの周辺住民の方々から、この地区の今昔についてお話を伺います。
① 赤尾さん(岐阜市西玉宮町一丁目の自治会長さん)から
2. (財)岐阜市教育文化振興事業団埋蔵文化財調査事務所 井川さんから
「古地図から見る岐阜のまち」について [資料参照]
3.長良川文化フォーラムの柴田会長から、2月16日に開催した、関の弥勒寺官衛遺跡群見学について報告。
4.岐阜大学地域科学部 富樫准教授から、「ぎふの河川とまちづくり」について話があった。
5. 質疑応答
6.意見交換会
それでは、第2回目の会議の詳細について、以下報告します。
最初の立った、岐阜市西玉宮町一丁目の自治会長さんである赤尾さんからは、塔心礎が発見された岐阜市文化センターの戦前の様子について詳しい説明があった。この中で、岐阜市文化センターの周りには、戦後、ものすごい家が急速に立ち並んでいった印象が強いということ。また、金神社の裏には、木がうっそうと立ち並んでいたことなどの、文化センター周辺の今昔についての話があった。
次に、(財)岐阜市教育文化振興事業団埋蔵文化財調査事務所 井川さんから「古地図から見る岐阜のまち」について、パネルを持ち込んでの話があった。
古地図は、幕末頃の上加納絵図(資料1参照)について説明があった。この古地図の中で、現在の市役所(赤マーク)や、金神社(黄マーク)、JR岐阜駅(赤マーク)の位置が示されており、現在と比較して大変分かりやすい説明があった。この中では、金神社の南に参道が南北に伸びていることがわかる。その先に玉宮の文字が浮かんでいる。このあたりが、現在の玉宮町商店街であろう。また、御鮨街道(現在の美園町の南北の 通り)が、はっきり見えており、尾張からの人々の往来があったことを古地図はうかがわせている。井川さんからは、幕末の頃は、人々が多く住んでいた場所が、ちょうど金神社のあたりから東側に広がっていたことなども報告された。
また、終戦直後の米軍撮影空中写真(資料2)も資料として提出された。さらには、明治21年頃の字絵図と現在の地図の合成(資料3)も資料として提出された。
井川さんの説明のあとで、長良川文化フォーラムの柴田会長から、平成20年2月16日に開催した関市の弥勒寺官衛遺跡群(資料4)の見学について報告があった。関の弥勒寺官衛遺跡群にも、塔心礎があり、ここは、かなりの大きさ(直径約2メートル)があり、五重塔が建っていたことをうかがわせている。今回の話題になっており塔心礎も、弥勒寺と同時代のものといわれている。よって、関の弥勒寺官衛遺跡群は、ここの塔心礎を考える上で大変参考になる遺跡群である。
この件についてのレポートは、このページでも、紹介していますので、以下のアドレスをクリックして参考にしてください。
http://www.hatelecom.or.jp/~mg100/archives/2008/02/post_88.html
その後、岐阜大学地域科学部 富樫准教授から、「ぎふの河川とまちづくり」について話があった。富樫准教授は、岐阜市内の河川が、古代からまちの重要な地形と成っていて、その近くに代表的な古代寺院が建立されていたことなど伺わせる解説があった。
その後、会議に移り、質疑応答と、意見交換会が実施された。
意見交換会では、塔心礎が、岐阜市の現在の中心市街地にあったことにより、そこから何が想像できるか?などの意見があった、東に厚見廃寺(現在の瑞龍寺)と、この大宝廃寺、西に鍵屋廃寺と、1300年前に、古代寺院があった美濃国。
壬申の乱後に、天武天皇の命を受けて、律令制度が確立され、日本各地に拡がっていった仏教。地方の教育の場としての、古代寺院の建立。日本が、しゃんとなっていく課程の原点が、塔心礎から伺えて来る気がするが、いかがでしょうか?
最後に、塔心礎から岐阜のまちを考える会は、第3回目の会議の日程の打ち合わせを行い、次回は、3月29日(土)午後1時から、岐阜市歴史博物館で開催し、実際に、塔心礎を見学することを目的に実施されることとなった。詳細は、このページで発表します。乞うご期待を!












