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2008年02月06日

岐阜市内の3つの古代寺院

image 岐阜市文化センターを今から25年ほど前に建築した際、見つかった古代寺院跡のものと思われる塔心礎は、1300年ぶりに、今また、市民によって、岐阜市の歴史の表舞台に出ようとしています。

1300年前、この地方は、厚見郡といわれていたようで、そのなごりが、現在も地名に使用されている。

また、上図(クリックで拡大)は、1300年まえの岐阜市内の古代寺院のあったところを地図に落としたもので、この地図をみて推測するに、現在の木之本校下にある鍵屋廃寺(現在の、鍵屋北野神社の辺り)と、徹明校下にある大宝廃寺(岐阜市文化センターの辺り)と、梅林校下にある厚見廃寺(現在の瑞龍寺の辺り)と、岐阜市内の中心市街地を東西に、ほぼ1直線で結ばれる位置に建っていたことが推測される。

ここには、現在の徹明町通りから金園町通りに至る東西の道路が走っており、この道の西には、現在の鏡島の辺りで、長良川にぶつかることから、古代、この辺りで、物資などを運び入れる港があり、港からまっすぐ東に向かう物資を運ぶ道が伸び、その道沿いにほぼ等間隔で、3つの古代寺院(西から鍵屋廃寺、大宝廃寺、厚見廃寺)が建ち、古代寺院の周りに、人々が集まり賑わいが生まれ、仏教を教える場となっていたと推測する。

こうした事より、岐阜市の中心市街地は、もともと1300年前には、現在の柳ヶ瀬をはじめとする中心市街地の東西に広がる地域に賑わいを見せて存在していた?と思われる。

これら岐阜の1300年前の古代歴史調査等から学ぶことにより、最近、めっきり賑わいを失いつつある岐阜市中心市街地の活性化を願い、元気の出る街に再生しようと集まった市民活動として、「塔心礎から岐阜のまちを考える会」の発足は、今後、楽しみになってきた。

「塔心礎から岐阜のまちを考える会」は、来る2008年2月27日(水)19時から金神社境内金神社会館で開催されます。ご関心のある方は、どなたでも自由に参加できます。

お問い合わせ先:「塔心礎から岐阜のまちを考える会」
電話:058-251-2101 和田まで