第3回塔心礎から岐阜のまちを考える会が開催されました。
去る、平成20年3月29日(土)午後1時から、第3回塔心礎から岐阜のまちを考える会が、岐阜市歴史博物館2階の講座室にて参加者20名で開催されました。今回は、週末の土曜日と、年度末、お花見等の影響で、参加者は、通常よりは、やや少ない感じでしたが、天候には恵まれました。
さて、第3回目の塔心礎から岐阜のまちを考える会では、実際に塔心礎を見学することを目的に開催されました。
最初に、高木岐阜市歴史博物館館長の案内で、岐阜市歴史博物館を参加者全員で見学しました。高木館長からは、2階の展示場の正面にある厚見廃寺(現在の瑞龍寺)の五重の塔の模型の解説があり、そのすぐ横に展示してある、古代奈良時代の展示物の説明がありました。厚見廃寺、大宝廃寺や、鍵屋廃寺のあった場所から発掘された軒瓦の展示物を前に、参加者たちは、熱心に高木館長の話に聞き入っていました。その後、参加者達は、自由に館内を見学しました。
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2番 目に、参加者達は、岐阜市歴史博物館の正面玄関にでて、今日のお目当ての塔心礎を見学しました。ここでも、高木館長から、この塔心礎が、岐阜市文化センター工事現場から25年ほど前に発見されたことや、塔心礎の形状や、どうして岐阜市歴史博物館に展示されてきたか等の詳しい経緯が参加者を前に話されました。参加者たちも、興味深く熱心に塔心礎を眺めていました。
3番目に、参加者達は、金華山ロープウィの乗り場に隣接する岐阜公園の三重塔を見学しました。今日は、ここの管理をしている岐阜市公園整備室の栗木さんが、三重塔の中まで案内し、三重塔が、どのようにできたか?など、岐阜市教育委員会社会教育室の内堀さんからの解説を交え、案内しました。この三重塔は、大正天皇御大典記念事業として大正5年に建立されたものです。
また、建物の構造は、4本の柱の中心に、直径約 60センチくらいの太い心柱が、吊り下げられている構造となっており、これが、建物全体を地震などから守られるように免震構造の役目をしていることも解説された。また、この三重塔は、当時長良川に架かる長良橋の古材を使って建造されたことや、建築場所を、画家の川合玉堂が、金華山を眺めて選定したことなどいろいろなエピソードが言い伝えられている。今回の塔心礎は、時代が大きく違うが、こうした三重塔を見学して1300年前の塔を支える塔心礎との関連を想像しながら当時に思いはした。
見学の最後は、現在、岐阜市が今年度からはじめている信長居館発掘調査現場の見学である。岐阜と命名した織田信長は、当時この地に居城を構えていた。特に安土城を建造するまでの9年間、岐阜のこの地に住んでいたと言われており、その居館の発掘を手がける岐阜市教育委員会社会教育室の高橋さんの案内で、今年度発掘が行われた現場を中心に詳しい説明がなされた。参加者達も、高橋さんの発掘してきて分かったことなどを中心に聞き入っていた。また、現場では、質疑応答も行われ、参加者達も、来年度も引き続き発掘が行われる調査現場を熱心に見て廻った。尚、この信長居館発掘調査の詳しい内容は、以下のホームページを参考にしてください。
■信長居館発掘調査ホームページ:
http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/
さて、この日の会議は、岐阜市歴史博物館に戻って実施されました。この日の、見学に関する質疑応答などを中心に実施されました。
次の第4回塔心礎から岐阜のまちを考える会は、このページでも予告しましたように、来る平成20年4月26日(土)午後1時30分から、岐阜市東部コミュニティーセンターで、塔心礎に関連して、1300年前と同時期の土器が発掘された、須恵器窯跡の話と現地見学で開催します。
詳しくは、以下の第4回塔心礎から岐阜のまちを考える会の予告ページを参照してください。
事前のお申込みは、以下のページで!
http://www.hatele.com/app/app2.cgi
■塔心礎から岐阜のまちを考える会に関するお問合せ先:
塔心礎から岐阜のまちを考える会 和田まで 携帯:090-3157-3315
電子メール :awada@ha-telecom.co.jp
ホームページ:http://www.hatelecom.or.jp/~mg100/archives/1_2/2_1/3_3/












